Geia Newsletter No.6 (Jun. 2001)

意見/第三世代の学問としての地球環境科学
豊田　和弘　　とよだ　かずひろ　

　私事で恐縮だが､高校生の頃に読んで将来こんな学問を専攻したいと感激した本の中に､『第三世代の学問｢地球学｣の提唱/竹内均･上山春平/著』がある｡その趣旨、,｢自然は切れ目のない織物だ｣という立場で､帰納的手法(第一世代の学問)と演緒的手法(窮二世代の学問)により得た｢地球｣に関するデータを､アブダクション(直感で仮説を立てた後に検証する思索法)で総合する分野の必要性を提唱したもので､第三世代の学問｢地球学｣と命名した｡

　本書発行時には名称自体が存在してなかったが､今日の｢地球環境科学｣こそ第三世代の学問をめざす分野であると私は理解している｡というのも､その研究対象は｢方法の未知問題｣のみならず､｢存在の未知問題｣や｢複合による未知問題｣への挑職を多く含むからである｡例えば､1970年以前としては例外的な､放射化学の専門者が大気化学に興味を持った事が､フロンの危険性の発見に繋がったという話は示唆に富む事実である。

　毒とは知らずに鉛容器にワインを貯えていために､ローマ氏族は鉛汚染で滅亡したという説もあるが､我々の身近にも未知の｢鉛容器｣が潜んでいないとは断言できない。なお､その研究対象は分子から地球周辺全体までと重階層構造になっているから､昔の動物行動学と心理学のように､総合主義と迎元主義の両方の方法論による成果を統合することも必要であろう｡地球環境は数多くの未知の要素や要因が複合しているので､どの研究テーマが地球環境の埋解や修復の鍵になるのか､現時点では判別できないことも多い｡また､政治的経済的な事情で決められたある選択枝から将来どんな環境上の不利益がどれだけ生じるか､現時点では確実な情報を提供できるとは言い難い｡そのため自然科学の成果(知識)をどう使えば子孫まで住居可能な地球を確実に残せるのか､というメタ知識を得るための地球環境科学の研究の推進が急がれている｡本来ならば知識の使い方を考えるのは人文社会学の役目のはずであった｡

　数学や物理学などの伝統的な理学ではより普遍的な知識が重要視されるが､地球環境は多様性に富むため、広汎なケーススタディも重要になる｡産業革命以降に様々な理工学系の学問が独立発展してきたが､それらは利潤の最大化(役立つ物の増産)を追求する資本主義の精神に基づくものであった｡

　一方、人と地球との間に親密な関係も築くべきという､その修正ベクトルに沿って地球環境科学が誕生したのはつい最近の事で､それに適した教育研究形態に関する模索も必要と考えている。

環境修復のための触媒技術
奥原　敏夫　おくはら　としお

　人間が作り出した文明の利器の典型は自動車で､自動車は便利だが、環境汚染で言えばかなりの悪玉である｡だからといって乗らない訳にいかないから､排気ガスをきれいにすること以外にない｡排気ガスは自然にはきれいにならないから､浄化技術が必要である｡幸い､ガソリン自動車の排ガスは産官学寄り集まって開発した「自動車触媒｣の働きによって無害にされている。問題はディーゼル車(バスやトラック)で､SOX、NOX、COX､さらにはススをだしている｡これらすべてをクリーンにする触媒開発が勿論やっきになって行われているが､まだ十分でない｡いくつかの難問が立ちはだかっている｡SOは、人に有害であると同時に触媒にも毒であり､触媒は劣化する｡ススを固体触媒で効率良く燃焼させるのはやっかいで､発ガン性の有機物が付着したまま放出されている(年々増加している肺ガンの一因と思う)｡さらにこの排ガス中には酸素が多く､NOと反応すべき還元物質が酸素で燃えてしまうために､NOも除去できな｡CO2は原理的に止めようがない｡触媒開発が問題解決の第-の鍵であるが､燃料ディーゼル油の超深度脱硫とエンジンの開発なしではありえない｡

　水の汚染も心配になってきた｡特に井戸(地下水)はそのまま飲用水になることが多いから注意が必要である｡北海道は自然が豊かで水もきれいと信じていたが､最近では井戸水の硝酸汚染が報道されるようになった｡北見では120ppmを越える硝酸イオンが検出され,市民に警告がなされた｡原因は左下図にあるように農地への施肥や家畜の糞尿と考えられている｡体に入ると酵素で還元され､ヘモグロビンの酸素運搬機能を失わせる｡発ガン物質にも変化する｡浄化法はまだ確立していないというべきか､下水処理にみられるバイオ法があることはあるが適用は難しいだろうと個人的には思っている｡

　我々はこのことに注目して固体触媒による新規浄化法を研究している｡ヨーロッパでは地下水を飲用に用いることが多く､汚染に敏感である｡固体触媒を用いる浄化法の研究もすでに始まっている｡日本でのこの分野の研究はまだ極めて少なく､硝酸還元では二三の研究室に限られている｡新しい苑境修復技術として活躍出来ることが我々の夢である｡

　おわりに下の写共を紹介する｡隼者らが化学品合成のための選択酸化触媒として合成したVP酸化物触媒である｡バラの花びら状の美しい微結晶体である｡

化学物質が溶けること・混ざること
中林　孝和　　なかばやし　たかかず　

　無色透明で均一に見える水は､物質の基本単位である原子や分子の視点からみても､水分子はランダムにいるのだろうか｡それとも時間平均では､何らかの液体構造が存在するのだろうか｡液体を構成する分子は動き､その力が化学反応や物を溶かす原動力となる｡しかし､その液体分子の動く速度はどの程度なのだろうか。多くの研究例があるにもかかわらず､このような液体の分子論的な描像は、未だに理解されていない｡そして科学の側がこれらの問題に決定打を出せない結果､疑似科学に基づいたとしか思えない水の処理方法が,健康食品や環境関連製品を始めとして､当然の如くテレビや雑誌などで紹介されているようである。液体中の分子の微視的構造や動きを明らかにすることは､物性の理解だけではなく､環境ホルモンなどの溶解と分離､超臨界状態の分子内振動(高波数領域)環境問題への適用など､多分野において重要であると考えている｡

　筆者らは､ラマン分光法とパルスレーザーを用いて､10億分の1メートルの分子の世界での液体の構造と10兆分の1秒の領域の液体分子の動きに関する研究を行っている(図1 )｡最近は､｢液体が混ざる｣ことの分子レベルの描像を示し､｢分子レベルでの混合の経験則｣を新たに提案することができた｡例えば､お酒は少なくとも目には透明均一にみえる｡しかしラマン分光法などから､お酒の中では､水は水分子同士､エタノールはエタノール分子同士で会合体を作る傾向にあることが示された(図2)｡我々は､酢酸と水の混合溶液(お酢)についても測定を行い､酢酸は酢酸分子同士､水は水分子同士で会合し､分子レベルでは均一に混ざりにくいことがわかった｡目に透明均一にみえても､光の波長より短い分子の世界で､2種類の液体分子は均一には混ざっていないことがわかる｡水,エタノール､及び酢酸は水素結合性溶媒に分類され､他の水素結合溶媒同士の混合においても､同様の分子レベルでの混合の不均一性が示された｡

　それらに対して､アセトニトリルなどの水酸基を持たない極性溶媒と水素結合性溶媒との混合は.分子の世界でも均一に混ざりやすいことがわかった｡これらの結果から,次の分子レベルでの混合の経験則を提案している｡『水素結合性溶媒同士の混合では､分子レベルでは均一に混ざりにくいのに対し,水素結合性溶媒と非水素結合性極性溶媒との混合では､水素結合性分子同士の結合は解離して、分子レベルでも均一に混る傾向にある｡』このような混合のミクロな差の原因を究明することにより､混ざることの本質が見えてくると考えている｡

図1

図2

化学の眼で海の生態を覗く
沖野　龍文　　おきの　たつふみ

　海洋天然物化学が学問分野になって30年､1万を超える化合物が発見されて､ようやく海洋生物のもつ化学物質の概観が見えてきた｡これだけのデータベ
ースができあがると､新しい現象がみられた時にも解決は速いものである｡

　最近日本でも新聞報道があったが、地中海ではイチイヅタという海藻の異常な繁殖が大きな問題となり､killer algaeとして怖れられている｡モナコの水族館から流出したとされるこの熱帯性の緑藻は､地中海では生息できないと考えられていた。しかし、低温に適応して現在ではスペイン､フランス､イタリア､チュニジアなどの13,000haの海底を単一の海藻が覆っている。数年前から米国カリフォルニア沿岸にも侵入したが.撲滅プログラムが現在のところ成功している｡繁殖原因の一つは毒性をもつ代謝産物のテルペン類が､魚にとって「まずい」物質であるために捕食されないことである｡熱帯株から報告されていたこれらの化合物は、地中海種でその含畠が多い｡海洋生物が防御物質をもっことはよく知られているが､生態系の微妙なバランスを整えている化学物質も､時として暴走するらしい｡

　魚介類の食中毒原因物質の解明は海洋天然物化学の大きな課題であった｡機器分析を駆使した研究により現在では主要な原因物質の構造は明らかになっている。さらに世界各地から新しい食中毒が報告されるたびごとに､その原因物質も迅速に同定されている｡それら有毒物質は一般に渦畢庚毛藻などの植物プランクトンが生産し､食物連鎖により魚介類に蓄積されるのである｡渦鞭毛藻から続々と新しいタイプの化合物が発見される背景には､休眠胞子(シスト)であった種類が現境の変化により増殖しているという説もある｡
　
　筆者は虫近油洋ラン藻Lyngbya majusculaについて神経芽細胞の培養系を用いて研究し､電位依存性ナトリウムチャンネルに作用する2種の化合物を報告した｡Antillatoxinはナトリウムチャンネルを活性化し､Kalkitoxinは阻害する作用をもつ｡特にantillatoxinは、既知の結合サイトと異なる部位でナトリウムチャンネルに結合している可能性が高い｡生態的には､捕食者からまぬがれる化学兵器と考えている｡これまでのところ中毒事例はないので、toxlnという名前をつけたのは化合物に可哀想であるが､今後何らかの生物の毒化に関与する可能性は十分にある｡実際､この種のラン藻は熱帯梅域で近年増えており､ウミガメがラン藻の化合物によって発ガンしているという報告もある。

　海洋生態系の変化の中で化学物質がどのような役割を演じるか理解する努力を続けたい｡