Geia Newsletter No.6 (Jun. 2001)

海洋環境科学と海洋接着タンパク質科学
山本　浩之　　やまもと　ひろゆき　

　太古から人類は海の豊かな恵みの下、海と共生してきた｡食料の供給､物資および文化の交流のための海上交通および海の環境の維持は重要である｡航路
の良い大型船舶や養殖施設、発電施設などの臨海構築物に付着するフジツボ､ムラサキガイ(ムール貝)などの大型生物は､経済効率を損ねるので海洋汚損生
物と呼ばれている｡

　最近の外来汚損生物種はイント洋を中心として生息する熱帯産のミドリイカイ(Perna viridis)である(写真)｡それらの除去および付着防御の材料科学について多種多様な実験研究が重ねられて､二度､解決法と判断される段階があった。一度目は塩素の使用であったが、付着生物のみならず海洋全生物の死滅、つまり"沈黙の海辺"を引き起こした。その反省から、トリブチルスズなどの共有結合した有機高分子船底塗膜が開発された。これは海水pHで除じょに加水分解され新しい塗膜の表面が出てくる機構(self-polishing）を利用したものである。その結果、塗膜には付着生物が原理的に付着できない。

　この高分子材料化学の勝利宣言に海にいる生物は黙っていなかった。加水分解され、海辺や海底に蓄積した有機スズ化合物は、世界の海洋環境を甚だしく汚染するに至った。例えば、魚・貝類の体内に蓄積され魚介類が有毒化し、また強い内分泌攪乱作用を示しイボニシの雌にペニスが生えるなどの生殖障害（インポセックス）が認められた。

　付着生物が付着する際の物質科学およびメカニズムが20年ほど前から解明され、海洋接着タンパク質（MAP)と命名された一群のタンパク質の科学と材料化学の展開は著しい。MAPはバイオミメティックな接着新素材の開発および付着忌避材料表面の創製の両面から期待される海に由来する材料であり、その資源化科学の行く末が注目される。

北極振動・成層圏・長期予報
山崎　孝治　　やまざき　こうじ

　今までの長期予報は､例えばエルニーニョが起こると暖冬になりやすいなど､熱帯域の海面水温変動をもとに出されていた｡ところで､表題の北極振動とは冬季北半球の大気循環で最も卓越する変動パタ-ンのことで､ThompsonとWallaceが1998年に提唱しポピュラーとなった｡彼らは冬季の月平均海面気圧から主成分分析という統計的手法でこのパターンを抽出した｡北極域が低気圧･中緯度域が高気圧という北極振動の位相が正のときは北緯60度付近で西風が強くなる｡北極振動が正の位相であると､ユ-ラシア大陸北部を中心に高温となる。1990年代前半の暖冬期は北極振動が正であった｡ところが近年､北極振動が負の位相になり寒冬ベースである｡このように北極振動には10年規模の変動がある｡図は､北極振動指数(上）と札幌(赤)､根室(緑)の冬の気温の経年変化である｡北海道の冬季気温が北極振動とよく対応している｡

　北極振動と日本､特に北海道の気候との相関がいいので､北極振動の動向を予想できれば長期予報精度が向上.すると考えられる｡しかし､残念ながら北極振動は大気内部の固有変動モードであるので長期の決定論的予測はできない｡ただし大西洋の海面温度とは弱いカノブリングがあり､これが原則で10年規模変動が起こっているという研究がある。そうだとすると数年程度の長期予報も確率的ではあるが可能かもしれない｡

　さらに､冬季の北極振動は対流圏だけではなく成層圏にもシグナルを持っている｡冬季北半球では成層圏突然昇温とよばれるで気温が25℃以上上昇する現象が見られる｡これは北極振動の負の位相に相当する｡日々のシグナルを見ると多くの場合､成層圏の変動の方が先行して起こることが多い｡成層圏で北極振動が急に負になった1-2ケ月後､中緯度では寒波にみまわれる碓率が高い｡つまり、対流圏でも北極振動が負になるわけである｡したがって成層圏を監視していれば1-2ケ月予報も精度向上が見込まれる｡

　成層圏を考慮したモデルでは､地球温暖化が進むと北極振動は正になるという数値シミュレーションがなされている｡実際に正のトレントがあり､これはCO2など温室効果ガスによる地球温暖化化が原因であろう｡シベリアを介した地球温暖化の影響が強く現われ､その程度も大きいことになる｡北極振動の10年規模変動が正になる数年後には、北海道は90年代にもまして暖冬で､流氷も見られなくなるかもしれない｡皆さん､早いうちに流氷観光にでかけましょう。

温故知新ー古きを尋ね新しきを得る
大場　忠道　　おおば　ただみち　

　温故知新という言葉が示すように､将来の地球環境を予測しようとするとき､現在ばかりでなく過去の地球環境からも多くのことが学べる｡一例を挙げよう。産業革命以降の化石燃料の燃焼によって大気CO2濃度が年々増加(革命前:280ppm､現在:365ppm (30%増))し､その温室効果によって地球の平均気温が過去100年間に0.5-0.6度上昇してしまった｡そして､今後の温暖化がどこまで進行するのか危慎されている｡ところが､今から約2万年前の氷河時代の最寒期に大気CO2濃度が約200ppmと少なかったことが､グリーンランドや南極の氷のコアに閉じ込められていた昔の空気の分析からわかってきた。人為的影響の及ばなかった氷河時代の大気CO2濃度を低く保った自然のメカニスムがわかれば､我々はそのメカニズムを使って温暖化を食い止められる可能性がある｡

　これまでの多くの古環境の研究から､約2万年前の氷河時代の地球環境は次のように推定された｡①北半球の高緯度に南極大陸に匹敵する大氷床が存在していた｡当時は北極海やグリーンランドばかりでなく､カナダの大部分や北ヨーロノッパ･北シベリアが厚い氷床で覆われていた。② その結果､海水面が現在より約120m低く大陸棚の約6割が陸化していた｡③海洋の表面水温は現在より､平均2度低かったので、海面から蒸発する水蒸気量は現在より約10%少なく､陛域には乾燥地帯が広がっていた｡④高・低緯度地域間の気温勾配が大きく､強風が吹いていた｡以上の結果から氷河時代の陸上地物の規模は現在より小さく､当時の大気CO2濃度が低かったのは海が吸収したとしか考えられない。

　それでは、海がどのようにして大気CO2を吸収したのであろうか？海底コア（図）の分析から古海洋環境を復元して得られた筆者の説を次に示す。す｡①約2万年前は黄砂が吹き荒れる黄塵万丈の世界で､陸上から飛ばされてきた土壌中のP､N､Si､Feなどが海洋表層に供給されて植物プランクトンを繁茂させた｡それらの光合成により溶存Co2を消費するので､それを補うように大気CO2,が海に吸収された｡②動植物プランクトンは死後海水中を沈降しながら分解し､水深1,000m以浅で無機化して再び海洋表層に戻る｡その過程で同時に沈降するダスト中の微細な炭酸塩の粒子などは溶解して炭酸イオンの多い海水が形成された｡その海水が海洋表層に戻って来たとき大気Co2が吸収された｡同様の現象は､黄砂が降っているとき雨滴にダスト中の炭酸塩が溶解するため､雨滴のpHが上昇する事実にも見られる｡③海洋表層に降り注ぐダストは有機物に付着し､その沈降速度を大きくして有機物を物理的に海洋の深層へと送り込んだ｡以上の3つの作用によって､氷河時代の大気CO2濃度が薄く保たれていたと考えられる｡

　もし､上述の説が正しければ､黄砂のような物質を大規模に海洋にばらまくことによって､大気CO2濃度を低下させることができると期待される｡

海の生き物は地球を冷やしてきたのか
　　　海の生き物による光合成と石灰化
市川　和彦　　いちかわ　かずひこ

　海の植物の量は陸上の1%にも満たないので､炭素循環への貢献は小さいと判断されがちである｡しかし光合成による有機物の年間生産品で比較すると､両者はそれほど変わらない｡海の生物の造礁サンゴ､月､動物プランクトンの有孔虫､植物プランクトンの円石藻や大型石灰藻は､大気中のCO2から石灰の殻･うろこ･骨格をつくって種の保存･繁栄を計っている｡

　海の生物は､5500万年程前からC02が引き起こす温室効果を減少させ､地球を冷やしてきたといわれている｡Science誌に『海は陸の生物圏より多くのCO2を吸収した』と公表された｡化石燃料の燃焼により､1991-97年の間に､毎年約62億トンの炭素に相当するCOE2が大気中に放出された｡このうち28億トンが大/大気圏に残存､14±8億トンが陸に､20±6億トンが海に吸収されたと結論づけられている｡

　海の生物はせいぜい深さ数十ないし百メートル前後の海洋表層で光エネルギーを利用して大気中のC02と水とから糖などの有機物をつくり､C02とCとCa2+から石灰（CaCO3)をつくる｡生産された有機物や石灰は海水の循環によって海洋の表層から中深層の海水中へ運ばれ､深層の海底に堆積したり、岩石化する｡他方､有機物が分解してできるCO2は海の深層から表層への方向の海水循環によって再び大気へ部分的に放山される｡海の表層から中・深層への下方向循環で､炭素が大気から隔離される期間は、有機物と石灰では数十年から数千年と大きく異なっている(図)｡もし､海に生物がいなかったとしたら､CO2の海への吸収は炭酸水素イオンとなって溶解（アルカリポンプ）あるいは海温降下によるCO2分子の溶解度の増加(溶解ポンプ)を期待するのみである｡

　我々の研究室では､カルボニックアンヒドラーゼが進化・繁栄を遂げた海の動物の石灰化活動に重要な働きを担っているひとつと判断し､亜鉛酵素活性中心の構造を模倣したモデル化合物の分子設計・合成を行いin vitroで石灰化を試みている。

　生物を育んでいる海が大気中のC02の供給源か吸収源かは､化学反応式のみからは合理的な答えが得られない｡時間スケール､経日・経時節･経年そして地質学的ないしは地球の歴史レベルなどのより長い時間スケールに区別して炭素循環を評価する必要がある。何故ならなら､海の生物の生命活動と海水循環が、大気中のCO2に端を発した炭素循環と深くかかわっているからである。